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交通事故で人身事故を起こしてしまった。さあ、大変!交通事故も自損事故ならいざ知らず、人身事故ともなると大変です。人身事故を起こしてしまった人の損害賠償も大変ですが、人身事故を起こされてしまった被害者の方はもっと大変です。

人身事故の加害者側の当面の問題は、損害賠償、すなわち、お金の問題をどうするか、ということですが、被害者側にしてみれば、身体に損害をこうむるわけで、それも、重症・重態・死亡と、ご本人だけでなく、親族関係者全員の今後の人生に影響があり、心身共に重大な負担を強いられることになります。

時に、法的判断の下、とうてい信じられないような加害者有利の判決が下されることがあります。法的見解はいざしらず、現実問題として、いつまでたっても人身事故の被害者が救済されないというケースが多々あります。救済処置を求めての法廷闘争自体、被害者にとっては、さらなる被害と言えるのではないでしょうか。

本当に、人身事故の被害者は泣きっ面に蜂といえましょう。交通事故の被害者になる直前まで、まさか自分が(身内が)被害者になるなど、だれも想定はしていないのが現実。人身事故の加害者側は、被害者側からしてみれば、被害を受けた瞬間から『悪の権化』としか見えません。まず、どうしたら良いのか。受けた被害の損失をいかに取り戻すか。混乱する頭の中で、そのことが渦巻く状況に陥ってしまいます。

人身事故被害者の苦悩

交通事故の被害者の苦悩は、広い分野にわたり、かつ深いものがあります。被害に遭った、まず、どうしよう?どこにどうしたら?から始まり、損害賠償請求について、被害者はどのような請求ができるのか?車が破損させられた場合は?保障を決定づける過失割合はどうなるのか?どう決められるのか?加害者以外への請求はできるのか?治療にあたり、治療費として認められ範囲はどうなっているのか?等々、加害者側の出方や誠意の表し方次第で、闘争ともいえる判断・行動が、被害者自身に求められることになります。

交通安全スローガンと人身事故の被害者

交通安全スローガンや交通安全標語の各所への掲示、そして、しばしば行われる交通安全運動の目的は、一言で言えば交通事故の防止です。交通事故で発生するのは、物損事故と人身事故に分けられます。しかし、人命は最も尊いもの。交通安全に限らず、安全スローガン の主眼はまさに、『人身事故』の防止に他ならないはず。すなわち、人身事故による被害者を出さないための、交通安全標語であり交通安全スローガンであり、全国交通安全週間でなければならないと思います。

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昨今、多発する無謀な運転による人身事故。これらはひとえに自動車運転者の安全運転によって防がれるもの。ゆえに、安全運転の励行を強調することが、人身事故防止に繋がるという考えはよくわかります。しかし、今般の人身事故は、歩行者を保護すべきガードレール等の不整備も、事故の大きな要因です。これは、あきらかに、人命尊重の思想が行政に行き届いていない証左ではないかと思います。

人身事故の被害者救済の法的整備、そのための組織等々が備わりつつあるとはいえ、真の被害者救済はありえないとしか思えない現実があります。安全スローガン、なかんずく、交通安全スローガンや標語の類も、もっと、人身事故の被害者を出さないぞ!という観点で作成されたらと思います。

人身事故防止・人命尊重を第一に

筆者の居住する地域の小学生の通学路では、通学路となる歩道のガードレールが整備されていない所が散見されました。最も車の衝突がありそうなところにガードレールがなく、そのかわりに鉄パイプ3本が渡された柵が設置されていました。ところがその柵も、下2本のパイプがいつの間にか撤去されていました。

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この件について、PTAの集まりの際に、校長先生に指摘しましたが、その後、現地視察も行われずに時は過ぎるばかり。そうするうちに、マスコミでも騒がれる程の人身事故が多発。これを受けて、国⇒地方公共団体⇒地元の教育委員会⇒小学校という経路で、通学路の安全確認のお達しが来たのです。ここに至り、やっと、先に指摘していた、ガードレールの問題が浮上するに至りました。人の命が損なわれて初めて、問題視されるようになったのです。交通安全は人の命の犠牲の上に成り立っているとしか思えない構図に愕然とした次第です。

さて、かくなる事態となり、件の校長先生のガードレールに関する調査結果が発表されました。3本の鉄パイプの内、下2本が撤去された理由を市役所に確認したそうです。その理由は『錆びてきたのではずした』というもの!未だ、そのガードレールがわりの鉄柵はそのままになっています。まず第一に、人命尊重の思想重視を政治と行政に求めたいと思います。

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