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朝礼ネタを11月に特化して考えてみると、雇用労働者の身の上として一番気になるのが勤労感謝の日。勤労感謝の日は国民の祭日。世の中の大勢として、土日・休祭日を休みとする企業が多い中、販売サービス業などは土日・休祭日こそ書き入れ時で水曜日等、平日を休みとしています。さらには、2交代・3交代の勤務、夜勤など、シフト制の勤務に至っては、世の休日など全くおかまいなしで業務が進行しています。

11月の朝礼ネタとしての勤労感謝の日

かく言う私の今の身の上は24時間勤務の警備員。かつては某IT企業の総合職でありました。現在の私とかつての私では、『勤労感謝の日』に対する有り難みはかなり薄らいでいることを実感します。故に、うちの職場では11月の朝礼ネタに相応しい祝日かどうかは疑問です。

そもそも勤労感謝の日とは、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨とする国民の祝日に関する法律で定められた祝日で、その淵源は、農業国家である日本の五穀の収穫を祝う風習に発するとのこと。

参考文献 勤労感謝の日
http://iroha-japan.net/iroha/A02_holiday/14_kinro.html

実りの秋の収穫を寿ぎ、その因となった勤労の尊さをお互いに省みて感謝する、ということのようです。何事もどこかで現在位置と越し方を確認することは、意味に生きる動物である人間にとって必要なこと。そういった、高尚な気持ちで臨んだ時、勤労感謝の日は11月の朝礼ネタとして蘇るような気がします。

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たとえ、勤労感謝の日が休日ではなくとも、勤労感謝の日として認識しつつ一日を終えることは可能です。ともすればグチの一つもこぼれる毎日の勤務。それでも、有形・無形の収穫をもたらす勤労は尊く、感謝の念は忘れまいと思うものです。

勤労感謝の日 何に感謝するのか

勤労感謝の日の「感謝」とは、何に感謝することなのか。仕事を与えてくれる会社と社長に感謝することでしょうか。別の角度から、筆者なりの考えを述べます。

勤労感謝の日の淵源となるのが、戦前の11月23日に実施されていた「新嘗祭(にいなめさい/しんじょうさい)」です。農作物の恵みへの感謝の念を国家をあげて祝っていました。それが戦後、収穫物のみならず、勤労による有形無形の産物という恩恵に対する感謝の思いを持とう、ということで、勤労感謝の日となりました。

いずれにしろ、天然自然ないしは社会との真摯な関わりの中から授かった「恩恵」に感謝するということになるようです。同じ勤労努力の報われ方も人様々です。まずは、生きていけるだけの恩恵があったと感謝すべきでありましょうか。

戦後発行された衆議院文化委員 受田新吉著『日本の新しい祝日』に勤労の本質について、「物質的にも、精神的にも広い意味での文化財を建設してゆくことは、生産ということの正しい理解の仕方である」と記載されています。

これによると、個人団体への勤労報酬の有無・多少にかかわらず、勤労そのものが「広い意味での文化財を建設しゆくこと」であると解釈できます。誰に対してということでもなく、天然自然・社会に対してということでもなく、勤労に従事する人の存在と勤労自体が尊い価値を有するものなのではないでしょうか。

故に勤労感謝の日とは、文化財生産による価値創造への感謝の日。これが筆者の持論であります。この考えを11月の朝礼ネタとして、どう解りやすいスピーチにまとめるか。その課題に取り組もうと思います。

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